こころの安らぎ文庫(代表:Okacho)

元精神科ナースらが運営する電子書籍のレーベルのブログです

強迫性障害の治し方~強迫行動を我慢し続けると?~

多くの人が苦しんでいるのに、研究が進んでいないと思う病気の一つに、強迫性障害があるかな、と思っています。もっと研究が進めばいいのにと思います。それはさておき、本題に入ります。強迫行動を我慢するとどうなるのか?

 

強迫性障害とは、不安を引き起こす考え(強迫観念)が頭の中に繰り返し現れ、それを打ち消すためにしたくないこと(強迫行動)をしてしまう病気です。

 

例えば、手を洗ったあと、まだ汚れが取れていないと思い、もう一度手洗いをして、それでもまだばい菌が付いているような感がして、結局15回くらい手洗いしてしまうようなものが強迫性障害の症状の例です。

 

この場合、不安を引き起こす「手が汚れている」という考えが強迫観念です。そして、その不安を打ち消すためにする「手洗い」が強迫行動です。

 

この病気の恐ろしいメカニズムを説明すると、強迫行動をすればするほど、一時的な安心は得られるのですが、どんどん強迫観念が大きくなってゆきます。つまり、強迫行動をすると強迫観念が増大して不安が増強する、と言うのがこの病気の恐ろしいシステムなのです。

 

そのため、強迫性障害を治すには、強迫行動を我慢する、という事がとても大切になります。しかし、強迫行動を我慢する、と強烈な不安に襲われ、かなりの負担がかかります。では、強迫観念を無視し続けて、強迫行動をしないでいるとどうなるのでしょう。

それを分かりやすく図示したのが下の図です。

 

 

強迫性障害における不安の減衰

強迫行動を我慢すると、最初は不安が減りますが、しばらくすると復活してきてさっきよりも強い不安に襲われます。しかしそれでも強迫行動を我慢すると、少しだけ不安が少し弱くなり、復活してくる時間も長くなります。さらに強迫行動を我慢すると、再び不安が訪れます。しかし、復活してくるまでにどんどん時間が長くなり、不安の強さも弱くなります。強迫行動を我慢し続けると、最終的には消えてしまいます。なぜかと言えば、強迫観念のエサは強迫行動だからです。強迫行動を我慢するという行為は、強迫性障害と言う病気を兵糧攻めにするのです。そのため、これを続けると、強迫性障害は消えてゆくはずです。

 

しかし、強迫行動を我慢し続けるというのはよほどの精神力がいります。強い苦痛を伴います。それゆえ、どこかで頓挫してしまうことがあるのです。私の著書の事で申し訳ありませんが『75分で強迫性障害が治った奇跡』で紹介している「75分メソッド」は強迫行動を我慢することによる不安を消し去るロジカルアタックという技術を使います。そのため、続けやすく、苦痛も少なくなっています。

 

ただ、「75分メソッド」は誰でも行えるものとはいえ、少しテクニカルな強迫性障害撲滅法です。今後「75分メソッド」をより簡単にしたものを書籍で提唱する予定です。2024年4月30日をめどに出版できればと思います。よろしければご期待くださいませ。

 

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猫に心はあるの?愛情と暴言暴力

人間の脳の大脳皮質には、ニューロンは115億個あります。一方、猫は脳のニューロンが3億個あります。人間と犬猫の脳の複雑さがかなり違うと分かりますね。

 

このニューロンの複雑な絡み合いにより、心が生まれると考えられます。自尊心や悲しみ、苦しみ、さまざまな感情と思考の集まりである心ですが、人間の約40分の1しかニューロンを持たない猫は、はたして心を持つのでしょうか?

 

これは明確にYESと答えられるんですよね。猫飼いさんならわかる方も多いと思いますが、猫は複雑な心をもっているんですよね。一説には人間の3歳児くらいの知能があるというそうです。

 

そういった学術的な知見がなくとも、猫と暮らしていれば、猫と人間は心と心でつながるという事が実感できます。

 

その顕著な例が一つあるんです。私の嫁がよくうちの子と遊ぶのですが、ノリノリで元気に遊んでいるかと思いきや、私が嫁に話しかけて嫁が私と会話しながら遊ぶと、うちの子はぴたっと遊ぶのをやめてしまうんです。

 

私と嫁との会話の中に入れず、疎外感を感じたのか、遊びをないがしろにされて嫌だったのか、大方そのように見えます。こういうことが起こる所以は、猫に心があるからでしょう。

 

猫は日本語をかなり理解していると考えている猫飼いさんは多いと思います。私もそのうちの1人です。心があるがゆえに、嬉しい言葉をなげかけると猫は喜びます。「可愛いね」「賢いね」「いい子だね」と言い続けて褒めると、猫はとても喜びます。そして愛情を注ぎ続けると、猫は優しく自信を持った表情になってゆきます。

 

私は幼少時から、親や学校の先生から「死ね」「自殺しろ」などの暴言と、殴られたりは物を投げつけられるなどの暴力を受けました。結果、うつ病などにより精神障害者になってしまいました。「自分は生きていてはいけないし、幸せは訪れない」と思うんですよね。だからこそ、うちの子にはそういう思いをさせたくないんです。

 

今日も明日も明後日も、うちの子に愛のある言葉をたっぷり注ぎ続けてあげます。「あなたはこの世に生まれてきて幸せになっていいんだよ」と。猫ちゃんの心の器がいつも満たされているように。

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ASKA(CHAGE&ASKA)の恐るべき言語能力

私は文字を書く仕事をしているため、言語には敏感な方だとおもいます。例えば、音楽を聴くとき、メロディよりも歌詞の意味の方が気になるタイプなんです。

 

常に美しい日本語を書きたいと思っています。そんな私が、もしも「一番美しい歌詞を書ける人を一人挙げよ」と言われたら、迷うことなくASKAさん(CHAGE&ASKA)を選ぶだろうなと思います。

 

ASKAさんは強烈な歌唱力や、メロディのすばらしさが取り沙汰されることが多いですが、彼の書く歌詞の恐るべきパワーを語る人は少ないように思います。ASKAさんの歌詞の何が恐るべきパワーなのか。それは比喩による情景描写に他なりません。

 

例を挙げてみます。

「夜が明けるまで」という事を美しい言葉で言い換えてみることを考えます。「太陽が目覚めるまで」「夜明けの刹那まで」など、私はそれくらいしか思いつきませんが、ASKAさんは

「星が止むまで」

と表現してしまうのです。この場合の夜は「星降る」美しい夜だったのでしょう。しかしそこには背徳心もあるように感じられます。と言うのも「雨が上がる」ように「星が止む」のも、雨上がりの様な解放感が込められているように聞こえるからです。

 

他にも夜明けを例えた表現としてASKAさんは

「摩天の森が息をしてる」

と言ってしまうんですね。つまり、夜中のあいだ、高層ビルは電気を消して、死んだように寝ているのです。しかし、朝が来ると多くの人が出社して高層ビルも息をしだします。

 

数え上げればきりがないASKAさんの卓越した言語能力ですが、あと一つだけ挙げます。「私はどんな夢をみていたのだろうか」と回想する表現。どんなふうに表現できるでしょう。「記憶の片隅に忘れ去られた夢はどんなものだっただろう」「置いてけぼりにしてきた夢はどんなだっただろう」くらいしか私は思いつかないのですが、

ASKAさんは

「どんな薔薇を噛んでいたのか、僕の夢は」

と言ってしまうんですよね。もう鳥肌が立ってしまいます。

 

ASKAさんの歌詞を研究する人は少ないようですが、彼ほど日本語を美しく操れるアーティストも珍しいのではないかと思います。ASKAさんの様に美しい日本語を書けるように努力したいと思っています。

 

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意外と知られていない精神科救急

タクシーがわりに救急車を呼ぶな、と言われる世の中ですが、体の病気で急に異変が起こったら、救急車を呼べば助けてもらえます。

 

しかし、心の病気でも救急がある事は案外知られていない、と言うのが元精神科看護師の私の感じるところです。

 

例えば、うつ病の方が夜中に急に死にたくなったり、自分を傷つけたくなったりした場合、日中でしたらかかりつけ医を急遽受診することも可能ですが、夜中や休日に精神状態が悪くなったらどうしたらよいのでしょう。自殺をしてしまいそうなほど、精神状態が悪化したら、何とか耐えるか自殺してしまうしかないのでしょうか。

 

勿論答えは”No”です。実は精神科にも救急があるのです。これを知らずに、夜間自殺してしまったり、OD(薬を大量に飲むオーバードーズの事)をしてしまっては本当に辛いものです。精神科の救急を担当する病院は、各自治体によりルールは異なるでしょうが、お住まいの都道府県にある精神科の病院が、輪番制で夜間休日などの精神科患者さんの受け入れをしています。

 

私は過去に、大切な患者さんを自死で失ったという過去があります。あの時、精神科救急の存在を知ってくれていたら、一言電話してくれたら助けようもあったのに、と本当に悔しく、自分の至らなさを思い知らされました。

 

私の著書やブログを読んでくださる大切な読者様には、ぜひとも精神科の救急がある事を知って頂き、夜間や休日に困ったらどこに電話すればいいか、調べてみて下さいね。

 

精神科救急のシステムは自治体により異なりますが、「お住いの都道府県 精神科救急」でググったら出てくと思います。それが無理な場合で、万が一にも自殺してしまいそうな時などには救急車を呼んでください。あと、警察に電話をしてみると助けて下さることもあります。

 

夜間休日に困ったら、いのちの電話や、悩み相談ダイヤルに相談するという手もありますが、電話に出た人のスキルはバラバラです。私の場合ですが、過去に何度か、いのちの電話や悩み相談ダイヤル、救急相談に電話したことがありましたが、正直、電話しない方がよかったと思うことの方が多かったです(もちろん熱心な方や精神科の技術のある人もいるとは思いますが)。

 

例えば、ずっと涙が出てきて死にたくて、結構深く自傷行為をしてしまったときに電話をしたことがあるのですが、「外科に行ってください」の一点張りだったこともあります。うつが酷くて辛くてOD(過量内服、オーバードーズ)をしてしまったとき、全身の筋肉が溶ける病気(横紋筋融解症)が出てしまったことがありました。この場合、集中治療室で大量の点滴をしないと死亡する状態だったのですが、救急相談の人は「筋肉痛なら整形外科に行ってください」との一点張りでした。

 

ともかく、夜中や休日に死にたくなったら、精神科救急を頼ってください。よろしくお願い致します。

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新海監督アニー賞逃す!敗因と考察

新海誠監督「すずめの戸締まり」のアニー賞受賞なるか?の記事で書いたことが現実になって、やっぱり予想が当たっても、新海ファンとしてはショックはショックである。

 

敗因は何であったか?それを述べていきたいが、まず、勝負事ではないので敗因と言うのはいささか不躾である。しかし、ファンとして勝ち取ってほしかった思いが強く、こういう表現にならざるを得ない事をご承知いただきたい。

 

この映画はアニー賞を獲得した作品と決定的な違いがある。エンターテイメントという枠組みの中で、「楽しみ」とは真逆の「悼む」ことを果たしたという点においてだ。

 

エンターテイメントとは面白いものである。だから人は積極的に触れようとする。つまりそれは人の集まるメディアなのである。そして人が集まる以上、エンターテイメントは多くの人にメッセージを送ることのできる媒体になる。新海監督はこのことを使って、東日本大震災の被害を悼み、風化させないような映画を作ろうとしたのだ。しかも「お客さんが見たいと思うもの」「お客さんが楽しめるもの」という視点での制作を一貫した。

 

しかし、お客様ありきという姿勢を崩さず大震災を悼む事では簡単ではなかった。楽しんでみられる映画でありながら、災害を悼む映画を作るという事は「笑わせつつ泣かせてみよ」という無理難題をこなすことに近い。ところが、新海監督はこのことを成功させた。そのことは興行収入や映画に対する様々なコメントから分かる事である。国内で150億円を超える大ヒット作でありながらも、「泣けた」「何回も見に行った」という人々が後を絶たなかった。

 

『すずめの戸締まり』がエンターテイメントの中で異色を放つ所以がそれだ。人々を笑わせ、そして泣かせ、東日本大震災の被害を悼むことを現実のものにしたこの映画は一目置かれる存在となった。海外がこの映画に注目したのだ。

 

このことはある種、異様である、新海監督は海外上映での興行収入などを考慮せず、震災の恐ろしさを共有する「日本人」にターゲットを絞っていたからだ。にもかかわらず諸外国から賞賛を受けるに至った。このことに新海監督は驚きを覚えているという。

 

それもそのはずで、一般的にアニメーションの巨匠となった監督たちは、映画の作成において、興行収入だけでなく、様々な賞に輝くことに狙いを定めるだろう。例えば「すずめの戸締まり」と対比してニュースになることがあるジブリの「君たちはどう生きるか」は、国内では事前の宣伝を全く行わなかった。しかし、諸外国に対しては事前の宣伝を行ったり、有名な著書をモチーフにしたりするなど、アニメーションの各賞に狙いを定めていたことが伺える。一方、新海監督は「日本のお客さんが見たいものを作る」ことだけを考えていたにもかかわらず、諸外国からの評価が高かった。

 

様々な賞にノミネートされたことは狙って獲得した誉れではないという事だ。しかし、確かな高評価を得ている一方で、『すずめの戸締まり』は決定的な受賞には至らないケースが多かった作品でもあった。しかしそれもそのはずである。そもそも狙っていなかったのだ。新海監督は誉れと名誉ではなく「お客さんの楽しみ」と「災害被害の悼み」の二つを追求することにこだわった。

 

これが受賞に至らなかった決定的な敗因である。新海監督の追い求めていたものと、受賞による誉れとはベクトルが違ったのだ。ただし、この映画は様々な賞にノミネートされている。「お客さんの楽しみ」と「災害被害の悼み」という二律背反から生まれたこの暖かい映画は、受賞こそしなかったものの「狙ってないのに高評価されてしまった」映画である。それは新海監督の美しい表現力と深い作家性が実現させたのであろう。

 

新海誠という監督の奥深さと実力には畏れるほかないのである。

 

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わんちゃんにゃんちゃん愛護施設への寄付報告

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

先日、年間250頭の保護実績がある犬猫愛護団体(三重)に、書籍の売上5026円を寄付致しました。売上が5000円を超えるごとに売り上げを全て寄付しています。

 

この活動は「こころの病の人を助けたい」という思いと「可哀そうなねこちゃんわんちゃんを保護したい」という2つのわがままをかなえてくれる活動です。本で人を癒し、売上でわんちゃんにゃんちゃんが助けられる最高の活動だと思っています。私の金銭的利益は0円ではありますが、この2つのわがままが実現されるだけで、本当に幸せな気持ちになれます。

 

昨年の6月からメンタル系の本の執筆活動を始めて、これで通算約30,000円の寄付が出来ています。引き続き頑張って本を書きます。医療ネタ、しかも精神科の割合が多いです。ご興味のある方はよろしくお願いします。

 

心の安らぎ文庫の図書、Amazon Kindle Unlimitedに加入されている方なら0円で読めます。加入されていない方でも、物価上昇を無視してお求め安い値段(スタバでコーヒー1杯頼むよりも安い)を貫き通していますので、ぜひ試し読み(全体の30%)をしてみてくださいね。

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皿を舐めるのはどうしてマナー違反?

最初に申し上げておきますが、私は食後、皿を舐めるようなことはしていません(笑)それだけはご承知おきをm(__)m

 

食事中に皿を舐めるという行為は、主に子どもがする事でしょう。そして、皿を舐めた子は親に叱られると思います。つまり、皿を舐めることはマナー違反なのです。

 

しかし、しかしですよ?こう考えたら、皿を舐めることは非常に良いことになってしまいます。

  • おいしかったという表現になる
  • 皿の洗浄が容易になり使用水量がへる
  • 洗剤の使用量が少なく環境に優しい
  • 食べ物を一口も無駄にしない

なんと、皿を舐めるという事はいいことづくめじゃないですか!

という事で少し調べてみると、なんとなんと、世界には皿を舐めることを良しとした国があるそうです。例えば東南アジアなどでは、食事がおいしかったことやありがとうと言った気持ちを表現するものとして習慣になっているようです。

 

それでは皆様も今日から皿を舐めることにしましょう! 

 

それを調べる過程で、なかなか面白い習慣を発見しました。食事中にげっぷをすることが良しとされている地域があるのは知っていましたが、おならをすることを良しとした地域がありました。典拠がないので度ことは書きませんが、この地域の人にとって食事中のおならは、日本のマナーのどれにあたるのでしょう?

 

頂きます、ご馳走様、おいしかった、でしょうか。そういった地域では頂きまップ~、ご馳走様ップ~、おいしかったップ~と言った感じになるのでしょうか。皿を舐めるようなメリットもないですし、万一「実」まで出てしまったらそれはどう扱われるのでしょう。

 

考えれば考える程、マナーと言うのは一般論ではなく、地域性のある限局的な習慣なのだなぁと思い知らされます。

 

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