こころの安らぎ文庫

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東日本大震災をエンターテイメントに入れ込んだ『すずめの戸締まり』

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

さてですね、2022年の11月11日から上映されていた

『すずめの戸締まり』

のブルーレイが発売日2023年9月20日の一日前である今日、届きました。

予約すると1日早く届くそうです。

 

個人的には興行収入は200億円を超えてもいい映画じゃないかな

と思っているのですが、148億円にとどまっています。

 

また、様々な賞を受けて評価されてもいい映画だと思うのですが

新海誠作品にしては、今回の映画は受賞数も少ないです。

 

私は100点満点中130点くらいだと思ってるのですが

その理由は、東日本大震災を後世に受け継ぐ作品だからです。

 

ただ、エンターテイメントの中でそれをしたことに

問題を呈する人はいるかもしれません。

そのことがこの映画の評価を

本来より低くしているのかもしれません。

 

しかし私は、エンターテイメントの中

東日本大震災の記憶を刻み込むということの

意義が何となくですがわかるのです。

 

私たちのご先祖様は大災害について何とかして

後世に伝えようとしてきました。

何故なら記憶は薄れてゆくからです。

古人は書籍であったり、口伝えであったり

あるいは石碑であったりという形で

後世に語り継いできました。

 

新海誠さんは、結果としてはエンターテイメントの映画という形で

恐ろしい大災害を、後世に語り継ぐことになったと言えます。

 

もちろん、東日本大震災によるダメージはまだ忘れ去られていません。

物的・身体的ダメージは、今も復興中であることは映画のとおりです。

ましてや、大切な人や場所を失った方の心理的ダメージは

12年経った今でも、昨日のことのように

鮮明に頭の中にありつづけ苦しめ続けています。

 

しかし、被災した方々を除けば

東日本大震災の恐ろしさを意識しながら

日々生活している人は、当初から比べれば

少なくなっているでしょう。

それは記憶は薄れてゆくからです。

 

分かりやすい例で言えば

日本中が焼け野原になった第二次世界大戦の恐ろしさを

語り継ぐ人たちがご高齢で亡くなってゆかれます。

そんな今の時代、第二次世界大戦の恐ろしさを胸に

日々生活している方は減っていると思います。

つまり凄惨たる戦争の記憶は薄れていっていることは

悲しいですが事実でしょう。

 

なので、もしかすると、東日本大震災の凄惨な災害ですら

例えば30年後には記憶から薄れていくかもしれません。

 

ここで新海誠さんがエンターテイメントの中

後世に語り継いでいる意義を、私は見いだせるのです。

なぜならエンターテイメントは、人々が触れやすいものだからです。

人々は、社会の授業の戦争の話や、災害のドキュメンタリー番組よりも

エンターテイメントを手に取りやすい傾向にあるのは

テレビ番組の視聴率やYOUTUBEの再生回数ランキングなどから

明らかでしょう。

 

そんな手の触れやすいところに

東日本大震災という凄惨な災害を置いたのが

新海誠さんです。

新海作品に惹かれた多くの人はエンターテイメントとして

『すずめの戸締まり』

を見るでしょう。すると凄惨な大災害に触れるわけです。

つまり、手に触れやすいエンターテイメント

記憶が薄れていくことを食い止め

災害の記憶を後世に語り継いでいくことになるのです。

 

だから私はエンターテイメントの中に

東日本大震災を織り込むことには

いつまでも震災を忘れさせないという

大切な意義があると思うのです。

 

ただし、そうすることでこの映画は

エンターテイメントとしては評価が低くなるでしょう。

それは当然の事ではあるかと思います。

エンタメと災害は概念としては真逆ですから

批判も多かったのではないかと思っています。

それが興行収入200億を超えられなかった理由でもあり

多くの賞を得ることが出来なかった理由ではないかと

そういう気がするのです。

 

最後にこの映画によくある批判の

「すずめが一瞬しか会っていない草太に恋したのか分からない」

というものの私なりの答えを書いておきます。

 

すずめはずっと椅子になった草太とともに

沢山の苦難を乗り越えてきた経緯で恋に落ちたわけです。

つまり、すずめは草太の姿が人であろうが椅子であろうが

どうでもよく、椅子に宿った、目には見えない草太の心に

恋をしていたのです。

その証拠に、すずめは映画で草太に「元の姿に戻って」

等とは言いません。

しかも、草太が元の姿に戻った時にすずめは、

「元に戻った!」などと大喜びするのではなく

真っ先にその奥に倒れていたダイジンを介抱します。

つまり、目に見えるものがすべてではないということです。

 

震災の傷跡もいつか目に見えない形になる日が来るのかもしれません。

だからこそ、目に見えないものこそ目に見える形で、しかも

手に触れやすいメディアに残した新海誠さんの作品は

秀逸していると思うのです。

 

※震災の被災者様がこれを読んで不快に思われた場合、謹んで謝罪いたします。

 

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